【柳田 悠岐】150m弾の飛ばし屋!高校3年時の体重は68kg、大学の肉体改造で才能が開花していた

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柳田 悠岐(やなぎた ゆうき)

出身地 広島県広島市安佐南区

生年月日 1988年10月9日(26歳)

身長 188 cm 体重 92 kg

投球・打席 右投左打 ポジション 外野手

プロ入り 2010年 ドラフト2位

 

柳田悠岐「NPB史上初の40本塁打・40盗塁の可能性を持つ男」

今季はここまで打率369・14本塁打・44打点・11盗塁。2002年の松井稼頭央以来となる3割・30本・30盗塁のトリプルスリー達成も充分狙える好成績だ。

(中略)

NPBでは過去にひとりも達成者がいない未知の領域。ちなみにMLBの左打者では、まだ筋肉の鎧を手に入れる前のバリー・ボンズが96年に42本塁打・40盗塁を記録した。
ギータとボンズ。今、柳田悠岐は「日本のバリー・ボンズ」に最も近い男である。

(引用:http://news.mynavi.jp/news/2015/06/22/144/)

 

今やプロ野球ファンなら知らない人はいない左の強打者、福岡ソフトバンクホークスの柳田 悠岐選手。

身長188 cm 92 kgという日本人離れした体格と、圧倒的身体能力が生み出す規格外の走攻守のプレーは大学時代の肉体改造があったからこそだった。

中でも、特に注目されるのはそのメジャー級の打撃である。この圧倒的な飛距離を生み出すパワーとホームランバッターとしての天性の弾道と飛距離は、ソフトバンクホークスの会長である王貞治がドラフト2位指名を秋山監督に直接指示したほどである。

 

 

プロ入り後、順調にスターへの道を駆け上がっている、柳田選手。

しかし、そんな彼の高校時代は今のようなパワーもまだまだ無く無名であった。広島商業で活躍するも広島県予選で敗退、甲子園への夢は破れている。

TVでみる甲子園では同級生が活躍し、その後プロやスターと駆け上がっていく現NYの田中将大や日ハムの齋藤祐樹、広島の前田健太などを目撃し、才能の違いに衝撃を受けていたのであった。

大学へ進学し、プロへの夢を目指すが、非力でもあった柳田は名門の中央大学硬式野球部の入部選考に落ちてしまう。そして地元の広島経済大学に進学する事になるが、ここから が柳田の肉体改造と記録的な才能の開花が始まる事になる。

 

■週5日ジムに通い肉体改造

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 高校3年時の体重は68kgだったが、大学時代に金本知憲や中田翔らが通うジムで体重を増やした結果、遠投距離が10m伸びた上に50m走のタイムも0.3秒速くなった。某スポーツ番組では5.9秒で走れたと証言している。

(引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/柳田悠岐

高校の夏から肉体改造を行い、筋力と身体能力の向上を積み重ねていく柳田は、大学入学に向けて週5日でジムへ通う。

栄養と休養、そしてトレーニングを取り入れて筋力アップと体重の8キロアップをし、スケールの違う1年生として大学野球をスタートする事に成功する。大学の4年時には筋肉は鎧となり約90キロへ成長していった。

 

【体重の変動】

高校3年夏 68キロ

大学入学時 76キロ

大学4年時 89.8キロ

 

■ 大学リーグでは5割の打率を目標にフルスイングで打ちまくる

広島の地方リーグであるため、ドラフトで指名されるには圧倒的な次元の違う成績を出す必要がある。

と考えていた柳田。目標に到達する為に必要な条件を全て考え出し、それらを達成するため努力と結果を積み重ねるという勝利の逆算式を見事に達成し続け、ドラフトで2位指名を勝ち取る。

だがドラフトに向けて、柳田は社会人野球(実業団)の数社からオファーを貰っていたが、それを全て断っていた。つまりドラフトでもし指名されなければニート。という状況であったのだ。しかしこの強打者を指名しない球団はいない。ソフトバンクホークスの会長である王貞治が、この選手を2位で獲りに行け!と指示。

【大学時代の主な成績】

ベストナイン6回

打率4割以上 5回

首位打者 4回

 

日本を代表するバッター、柳田悠岐選手の成長エピソードやフルスイングの魅力がギッシリ詰まった動画がありましたのでご紹介します。前編と後編に分かれていますが、これをみれば柳田選手の事が良く分かると思います。

■柳田悠岐 ~フルスイングの原点~ 1/2

 

■柳田悠岐 ~フルスイングの原点~ 2/2

 

(文・編集部)

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