ラグビー界のレジェンド「平尾誠二」身体能力以外に持ち合わせていたもの

 

■ラグビー平尾誠二氏の死因 遺族コメントで明らかに

日本ラグビー協会は2016年10月25日、53歳の若さで亡くなったラグビー元日本代表監督の平尾誠二さんの遺族コメントを発表した。平尾さんは20日に亡くなった。

(引用:http://www.j-cast.com/2016/10/25281748.html

 

 日本ラグビー界の為に尽力し、多大な影響力を持つ人物であった平尾誠二。「ミスターラグビー」と称され、1980年代から90年代に活躍したラグビー界のレジェンドである。今回は、レジェンド、平尾誠二さんを紹介したい。

 

 まずは、その輝かしい経歴だ。高校は伏見工業高校である。伏見工業高校はドラマ「スクールウォーズ」のモデルになった高校。きっとご存知の方も多いだろう。当時、不良集団だったラグビー部の少年達が、1人の監督のもとで更正し全国制覇を果たすという伝説のストーリーが誕生し、その後ドラマのモデルとなった。当時、この初優勝を決めた伏見工業高校メンバーの1人でありキャプテンとしてプレーしていたのが、平尾誠二さんなのだ。(オススメ記事:高校ラグビーの名門・伏見工業の名が消滅し合併へ。112対0の敗北から全国制覇した伝説の学校

■泣き虫先生「なんで先に逝くんや…」/平尾氏悼む

 39年前の秋。京都府秋季大会決勝戦で、陶化中3年だった平尾氏を初めて見た。そのプレーにほれ込み、自宅を訪ねた。既に特待生で名門花園高への入学が決まりかけていたが、熱く夢を語りかけた。 「当時は親御さんが『あんな学校には行かせられない』と言うくらい、伏見工はワルの集まり。授業料免除で、ラグビーの強い高校に誘われたら普通は行く。でも平尾はそれを振り切って私の夢を追ってくれた

(引用:http://www.nikkansports.com/sports/news/1727172.html

 

 その後、同志社大学に進学する。当時、史上初となる大学選手権3連覇を達成。自身の実力を試すべくイギリスへラグビー留学、そして神戸製鋼へ入社。日本選手権で7連覇を達成している。

 

■当時、史上最年少の19歳4ヶ月で日本代表に選出

 日本代表には、当時、史上最年少の19歳4ヶ月で選出されていた。ワールドカップ第1回大会から3大会連続で出場。ラン、パス、キック、判断力など、ラグビーに必要な全ての能力を持ち合わせており、端正な顔立ちにトレードマークのヒゲで人気を博していく、まさにスーパースターだった。野球界の長嶋、サッカー界のカズのような存在だ。

 

この輝かしい経歴を残せたのは、身体能力以外に持ち合わせていたものがあったからだ。

それは、「キャプテンシー」だ。

キャプテンシーとは、ラグビーやサッカーでよく使われる言葉であり、キャプテンとしてチームを統率する力、指導力を指す。

 

勝負を左右するようなシーンでは常にキャプテンが判断

 ラグビーは試合が始まると、いろんな局面での判断をキャプテンに委ねられる。記憶に新しい2015年ワールドカップでの日本 VS 南アフリカ戦。「スポーツ史上最大の大金星」と言われるあの試合も、ゴールキックを狙って同点にするという選択もあったが、キャプテンのリーチ選手が、スクラムを狙うという判断で生まれたプレー。

 

 このように、勝負を左右するようなシーンでは常にキャプテンがリスク、メリット、戦力状況などから素早く判断をしなければならない。わかりやすく言うと、選手兼監督をしているようなものだ。

 

■キャプテンでは国内チーム相手に1試合しか負けた事がないという偉業

 平尾誠二さんは抜群のキャプテンシーを発揮しプレー含めチームを引っ張っていた。そして自身がキャプテンをした試合では、国内チーム相手に1試合しか負けた事がないという偉業を成し遂げている。

 

■日本代表監督として常に新しい試みを実践

 その後、日本代表監督時代は、他競技に先駆けて、相手チームの映像やデータの分析に力を入れた。これは、現在のスポーツでは当たり前になっている。また、ラグビー経験の有無に関係なく、運動能力の優れた人物をスカウトする「平尾プロジェクト」を実施。こちらも、東京オリンピックを控えスポーツ庁などが推進する、他競技からの人材発掘の先駆けだった。平尾誠二さんは世界で戦う事を意識し、常に新しい試みを実践していたのだ。

 

 選手時代だけでなく、引退後もその求心力で日本代表監督や、日本サッカー協会理事など、ラグビー界だけでなく日本スポーツ界の発展に力を注いだ平尾誠二さん。

 2019年ワールドカップ日本大会など、これからの日本スポーツ界に必要とされる人物であったが、今年10月20日、多くの人に惜しまれながらこの世を去った。しかし、この先も平尾イズムはスポーツ界で生きていくだろう。

 

平尾誠二氏(53歳)死去 報道ステーションより

 

(文・菊竹 祥平)

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