【男のプライド】魂かけた真っ向勝負 ボクシング畑山隆則 vs 坂本博之
2000年に行なわれたWBA世界ライト級タイトルマッチ。
壮絶な打ち合いとなった日本人対決。もともと違う階級の選手だった坂本博之と畑山隆則の2人の舞台裏に迫る。
http://tvtopic.goo.ne.jp/kansai/program/info/226363/index.html
坂本博之はデビュー以来日本のライト級チャンピオンになり、国内には敵なしの状態に。最大の武器は左フックで、平成のKOキングとの異名を誇っていた。そのボクシングスタイルを貫けたのは、異常なまでの打たれ強さだった。|坂本博之のスパークリング相手を務めていたのは、当時はまだ若手のホープでしかなかった畑山隆則だった。階級も畑山隆則は一つ下の階級だったが、圧倒的なスピードを武器としていた。世界チャンピオンまでのぼりつめたが、防衛戦で敗れてしまう。その後階級をライト級へとあげ、ここでもチャンピオンとなった。二階級制覇を達成して、世界チャンピオンとなった畑山隆則。チャンピオン奪取直後のリング上で、畑山隆則は突然国内最強と呼ばれていた坂本博之を次のチャレンジャーに指名した。
2013年11月16日(土) 22:30~22:50
NHK総合大阪で放送された伝説の試合のドキュメンタリーです。
畑山隆則
出身地 青森県青森市
中学時代は野球部に所属しエースで4番として活躍し、将来はプロ野球選手になることを熱望していた。スポーツ推薦で青森山田高校に入学したが、先輩部員と対立し1ヶ月で退部。
かねてより、同郷の元WBA世界フライ級王者レパード玉熊(国際)の世界戦を見ていたこともありプロボクサーも志望する。
そして辰吉丈一郎(大阪帝拳)がWBC世界バンタム級王座を獲得した試合をテレビ観戦したのを機にプロボクサーになることを決意。高校を中退し単身で上京し、初めにヨネクラジムへ入門するが、大人数の選手や練習生を抱える環境に馴染めず、程なくして京浜川崎ボクシングジムに移籍する。
同ジムにて韓国出身の柳和龍トレーナーと出会い、以後良きパートナーとして二人三脚でプロボクサー人生を送っていくこととなる。
坂本博之
出身地 福岡県田川市
幼少時に両親が離婚。
親類に預けられたがそこでの生活は極貧を極め、弟と一緒にザリガニを捕まえ食したこともあると語っている。
その後預けられた福岡市東区の養護施設『和白青松園』のテレビでボクシングの試合を見たことがきっかけで、プロボクサーを志すようになる。
■引退を半年後撤回、畑山は階級を1つ上げ坂本を指名した
■両者の作戦とは
■試合が決着する瞬間