肉体を極限まで鍛えることで取り戻した「自信」と「つながり」、障害を抱えていても健常者と同じように鍛えられるトレーニングジム
極限まで「残された肉体」を追い込む、障害者のためのトレーニングジム
リハビリ機能を名目にした施設ではなく、障害を抱えていても健常者と同じように肉体を鍛えるためのトレーニングジム。言われてみればこうしたジムは確かに少ない。ここにひとつの成功例がある。肉体を極限まで追い込むことで、彼らが得るものの大きさがよく分かる。
(引用:http://getnews.jp/archives/1528564)
このトレーニングジムは、障害を抱えていても健常者と同じように肉体を極限まで追い込み鍛える事ができるトレーニングジムだ。もともとはフィジカルエリートをさらに鍛え上げる目的にと、元NFL選手だったデビッド・ボボラが現役引退後にフィジカルトレーナーとなり、第二の人生として用意したジムであったという。しかしデビッド・ボボラはここである男性達と運命的な出会いを果す事になった。
それは、四肢を切断する大ケガを追っていた退役軍人のトラビスや、アフガニスタンに出兵し地雷を踏み両足を切断して自暴自棄になったブライアンとの出会いだ。
■自暴自棄にくれる日々が続いていたブライアン
ブライアンは、地雷を踏み両足を切断していた。退役した後も失ったはずの足の痛みが取れず、ヘロインに手を染め職を失い、自暴自棄にくれる日々が続いていたという。駐車場で車椅子のり、ボロボロになっていたブライアンに遭遇したデビッド・ボボラは声をかける。「ボクにトレーニングさせてくれないか?」
経験はないが、自分にトレーニングをさせて欲しい。可能性の限界に挑もう、と。四肢を失い希望を見出せずにいた元軍曹は、彼の熱意に負けたと語っている。
翌日、元NFLの選手だと分かった事でブライアンはジムを訪れた。デビッド・ボボラは言った。「キミを必ず歩けるようにしてみせる」と。
■フィジカルトレーナー、元NFL選手 デビッド・ボボラ
「彼らもまた、ボクと同じようにサイドラインの外側へと追いやられていたんだ。社会復帰への道がいくら用意されていたとしても、いつかは保険だってお金だって尽きていく。ここでもう一度自分自身を鍛えあげ助けあうことで自信を取り戻し、社会的なつながりを感じて欲しいんだ」。
デビッド・ボボラは2008年セントルイス・ラムズに入団。しかし右肩の故障(2011年)以来、プレイに痛み止めの薬が手放せず、重度の中毒症状を訴えるようになる。リハビリにより回復したものの現役引退。家族と共にダラスに移り住み、フィジカルトレーナーとして第二の人生を歩みはじめていた。
■自然とジムにコミュニティが生まれていった
いつしか、ボボラのジムは障害を持つ人同士がサポートしあい、互いに切磋琢磨しながら残された肉体や残存機能を鍛えあげるコミュニティとして機能し始めている。その様子にボボラはどこにでもある、けれどここにしかないトレーニングジムが形成されていく過程を、一人ひとりのチャレンジングスピリットに喩えた。
トレーニング中にこぼれる笑顔。
歩く為のレーニングを地道に重ねていく。そのハードさは映像からもシッカリと伝わってくる。
容赦なく負荷を与えるフィジカルトレーナー、デビッド・ボボラ。トレーニーが自信を得るためにも、極限まで追い込んでいく。
■Upstanders—A Warrior’s Workout
■A New Kind of Courage
パラリンピックの選手紹介やってるんだけど、結構障害者と健常者が組んで(サポート役)で二人で一つで戦うとかあるんだねー。本人だけかと思ってたけど、周りでサポートする人もトレーニングしなきゃいけないし、これは大変だ…。凄いな。
— 黒木 Day30/Fin (@love4seibu) 2016年9月3日
国内の体育館はどうしても抜き差しならない事情がない限り、障害者の利用を断らないようにすること。パラリンピアン専用のトレーニング施設を用意すること。 #mitazo #東京オリンピック申し送りメモ
— 凛々 (@Rin_Me) 2016年9月8日
アメリカは障害者スポーツでも先進国で、オリンピック選手もパラリンピック選手も同じトレーニング施設で練習し、ロンドン大会では98個のメダルを獲得。日本もトレーニングセンターを共同利用しているが、課題は山積。 #パラリンピック
— やまんば (@yamanba_iwaki) 2016年9月8日
(文・編集部)