ジム通いで気付いた「俺は運動が嫌い」ではなかった。のんびり筋トレしたり走ったりがこんなに面白いとは
3月2日、あるトレーニーが、実は自分が「運動が嫌い」ではなく「体育教育が嫌い」だったとTwitterで呟き反響を集めている。呟きによると、ジムに通ったことで自身が「運動が嫌い」ではないことがわかったのだという。
ジムに行くようになってわかったのは、「俺は運動が嫌い」ではなく、「小学校から大学まで行われた体育教育が嫌いだった」ということである。自分で好きな様に適当に見栄を張らず自分の設定した負荷で、のんびり筋トレしたり走ったりするのがこんなに面白いとは思わなかった。
— 鐘の音@BOOTHにて新刊委託中 (@kanenooto7248) 2016年3月2日
■小学校から大学まで行われた体育教育が嫌いだった
投稿したトレーニーは小学校から大学まで行われた体育教育が嫌いだったとのこと。そして今は見栄を張らず、自分の設定した負荷でトレーニングできるので面白いと語っている。このトレーニーの経験談から思うに、体育教育では理由も分からずに苦しいメニューをひたすら全員に与える事で、多くの人を運動を嫌いにしてしまっているのではないだろうか。
たとえば、学生時代に行われた冬の長距離走の経験によってマラソンが嫌いであると言う人は多い。しかしプロのトレーナーによれば、雑談できるくらいのペースでゆったり楽しく走ることが重要で、体育教育で経験するような、息が上がるほどの走り方は明らかにオーバーペースだという。タイムを上げる為にも間違っているとのこと。
つまり、正しいトレーニングや良い運動経験というものを学生時代に得ることができていれば、多くの人が運動の価値や魅力を感じる事ができ、運動嫌いというデメリットの感覚を持たずに済むのではないだろうか。
@kanenooto7248 ものすごく共感します。球技とか集団でやる意味が分からず、出来なければハブられて、でも今ではジムで体を鍛える事は本当に楽しい事だと思いました。 — 想。 (@m6a6s6a) 2016年3月2日
@kanenooto7248 苦手でも強制的にやらされ、クラス内カーストの固定化を促すだけの体育の授業は素晴らしい。
あれのおかげで球技を嫌うことが出来たのだから。— 『 nezumi 』 (@nezuni13) 2016年3月2日
@kanenooto7248 私は、それを54歳になって気が付いた。走ったりするのが大嫌いだったのに、好きなように走ったら楽しくて仕方なくなった。泳げなかったけど、自分の好きな時にプールへ行くと楽しくなった。強制されないことがこんなに楽しいなんて・・・ — soto1623 (@soto1623) 2016年3月4日
運動は本来、楽しく面白いもの。強制で意味が分からなかった運動ではなく、自発的にトレーニングする喜び、運動能力が向上していく喜びに気づける人が1人でも増えることを願いたい。この呟きは3月5日9時の時点で6,800 件以上のリツイート、5,200件以上のいいねを集めている。
(文・編集部)